はじめまして。33歳、サラリーマン兼不動産投資家(初心者)の「ジユクラ」です。
ブログのサブタイトルにもあるように、
「~2027年12月末までに不動産投資で成功し、自由な暮らしを~」
を目標にしています。
現在2021年10月なので、あと6年以内に「自由な暮らし」を実現するためにどうすれば良いのかを考え、行動していきます。
そして
- これまで自分がやってきたこと・考えて行動してきたこと
- これからの目標達成までの過程
をこのブログに綴っていきます。
自分の経験や考え方が、少しでも誰かの役に立てば嬉しいなと思い、ブログを再開しました。
実は過去ブログをやっていた時期がありましたが、途中で更新をやめてしまっていました(おい!笑)
2021年10月から仕切り直しでまた始めたいと思います。
まずは最初の記事なので、自己紹介と、なぜ僕が「自由な暮らし」をしたいという考えに至ったのかを書いていきます。
目次
自己紹介
まずは簡単な自己紹介です。
大阪府出身の33歳、東京都大田区在住、家族構成は妻と3歳の娘で、夫婦共にサラリーマンです。
2017年から不動産投資を始めましたが、現状あまりうまくいっていません。。。
そのあたりもこれから色々赤裸々に記事にしていきたいと思っています。
趣味は
- ゴルフ(年1~2回なので趣味といえるか微妙です)
- 国内・海外旅行
- サッカー観戦(最近はもっぱらDAZN)
です。
特に旅行は妻も子供も大好きで、早くコロナが収束し、また気軽に旅行に行ける日々が訪れることを祈っています。
現在の人生の目標は、ブログのサブタイトルにもあるように、
「~2027年12月末までに不動産投資で成功し、自由な暮らしを~」
です。
自分にとって「自由な暮らし」が何なのかという所ですが、
- お金や時間の心配をすることなく、
- 会いたい人と会いたいときに会い、
- 住みたい場所に住み、
- 日々健康に過ごしていく
ことだと思っています。
これは後述する幼少期から学生時代の経験、20代当時の働き方が現在の自分自身の人生の考え方に大きく影響を及ぼしています。
そのあたり、続きを書いていきます。
幼少期から学生時代の経験
私の父は所謂転勤族でした。
2~3年に1回は転勤があり、日本全国を単身赴任で転々としていたため、父が自宅にいることはどちらかというと少ない家庭でした。
きちんと記憶していませんが、恐らく23歳で実家を出るまで、半分程は一緒に暮らしていなかったのではないかと思います。
そんな父を見ていたため、自分は将来転勤がなく住みたい場所に住むことができる生き方をしたいと思い、何か手に職をつけたいと思っていました(手に職があれば自分で済む場所を選べると、当時思っていました)。
そんな中、大学生となり学部が文系だったということ、高校時代に簿記3級の試験に合格したということも相まって、大学1年から公認会計士の勉強を始めました。
結論として、公認会計士試験には合格できませんでしたが、日商簿記1級を取得し、就職活動では資格をアピールして、某メーカーに就職しました。
20代の働き方が人生の考え方に大きく影響した
新卒で入社した某メーカーでの日々
大学卒業後、新卒で上場している某メーカーに就職しました。
もちろん本社の経理での勤務になると(勝手に)思っていたのですが、配属先は田舎の工場経理でした。
同期の前で配属先を言い渡された時、
「頭が真っ白になり背筋が凍った」
ことを今でも鮮明に覚えています。
工場勤務は(後から知ったのですが)所謂出世ルートではありました。
しかしそもそも住みたい場所に住むことができる生き方をしたくて手に職をつけようと思って勉強したはずなのに、それが逆効果となり住みたい場所に住めなくなりました。
就職前に自分が思い描いていた生活とは程遠く、更に田舎で生活したことがなかった自分にとって、知り合いが誰一人いない中での一人暮らしは、人生の中で本当に辛い時期でした。
加えて仕事の内容もエクセルで資料を作る等の単調な作業も多く、
「ここで自分は3年、5年と働いて何を得られるのだろうか、このまま大切な20代を浪費してしまうのだろうか」
という不安が日々ありました。
その結果、約10か月働いた時点で体調を崩し入院。
「いやお前豆腐メンタルすぎやろ!」
と思われるかもしれませんが、当時の自分には限界でした。
この時改めて「自分は人生をどう生きたいのか」ということを考えるようになりました。
大学を出て、上場企業に就職して、苦しいこと辛いことに耐えながら、一つの会社にしがみついて65歳まで働く人生を送りたいのか。
30代、40代、50代と、いったいどんな人生を送りたいのだろうか。
それを考えたときに出てきた最終的な答えは最初に述べた、
- お金や時間の心配をすることなく
- 会いたい人と会いたいときに会い、
- 住みたい場所に住み、
- 日々健康に過ごしていく
ことでした。
最初は住みたい場所だけだったのですが、それ以外に会いたい人と会いたいときに会えること、お金や時間の心配がないことも、加わりました。
- 会いたい人と会いたいときに会えるというのは、東京に行けば解決する。
- 将来、お金や時間の心配をしないで良いようになるためには、自分の仕事のスキルを上げる。
当時はこれが必要だと思いました。
退院後一度は職場復帰しましたが、やはりこの環境で仕事・生活を続けていくことは出来ないと判断、1年2か月で最初の会社を退職しました。
周りからは、
「せっかく入社した上場企業を、たった1年そこらで辞めるなんて勿体ない」
と散々言われましたが、これ以上大切な20代前半を浪費できないと考えた末の決断でした。
東京に上京し、入社したベンチャー企業
1社目の会社を退職後上京し、とあるベンチャー企業に入社しました。
入社の決め手は、
- 働いている人が若くキラキラしていたこと
- 単純にチャレンジできることが多そうで自分の仕事のスキルを上げられると思ったところ
でした。
また東京に来たことで、会いたい人に会いたいときに会えるようになりました(当時これは本当に自分にとっては精神安定剤になりました)。
実際働き始めてから、社内の人はとても良い人が多く働きやすかったのですが、しかしこの会社でも自分が思い描いていた働き方とは大きく違う未来が待っていました。
ベンチャー企業あるあるですが、とにかくめちゃくちゃ働きます。
当時はまだ今程労働時間の規制も厳しくなかったので、平気で24時以降も働いていたり、徹夜もしょっちゅうありました。
とにかく毎日が目まぐるしく過ぎていき、20代中盤ということを武器に働き倒しました。
結果仕事のスキルとして得られたものは本当に多く、今日まで僕が社会で働けているのはこの会社での経験があったからだと、今でも心から感謝しています。
本当に感謝はしているのですが、、、、1年半程働いたところで、40℃の熱を出し、またも入院。
明らかに過労でした。
この頃、今の妻と出会いました。
妻と交際をしていく中で、このような働き方をいつまで続けられるのだろうか。。。
得られたものは大きかったけれど、そもそも自分が思い描いていた
- お金や時間の心配をすることなく
- 会いたい人と会いたいときに会い
- 住みたい場所に住み
- 日々健康に過ごしていく
という人生の生き方とは(とりわけ健康面で)かけ離れていることに気づきました。
最終的には2年3か月程勤め、退職する道を選びました。
その後も東京のベンチャーを渡り歩き、不動産投資の道へ
2社目のベンチャー企業を退職した後、3社目もまたベンチャー企業に入社しました。
この会社に入社後、28歳で妻と結婚し、家庭を持つことになりました。
この会社はライフワークバランスがある程度整っていた会社で、ベンチャーっぽくはなかったです。
その点は意外と良かったのですが、前職と同じ仕事の繰り返しになってしまい、ポジション(役職)も変わらなかったため、時間を浪費してしまっているように感じていました。
この頃から「なんとなく」気づき始めました。
「あれ、これずっと社会人として働いてても、自分の望む人生って、永遠に訪れなくない?」
と。
「ある程度の普通のサラリーマン」として働いていくだけでは、収入の増加には限界があることに気づきました。
また、「サラリーマン」として働いている以上、拘束時間が長くなり、時間を自由に使うということもできません。
加えて、30歳の時嬉しいことに父親にもなりました。
子供の為にも
「このままではダメだ、人生何かを変えないといけない」
と強く思いました。
そして3社目のベンチャー企業を退職し、4社目のベンチャー企業に就職した頃から、ブログを始めたり、不動産投資の勉強を始めたり、株式投資を始めたりしました。
ブログは2017年から始めましたが、なかなか思うように続けられず、半年ほどで断念。
色々と本を読んだり勉強をしたりする中で、自分の思う人生を送るには、不労所得に近い不動産投資しかないのではないかとの結論に至りました。
定期的に安定的な収入があり、時間にも拘束されず、住む場所も選べて、健康的な生活も送れる。
2017年から一大決心をし、不動産投資を始めるために動き出します。
まとめ
以上が自己紹介と、僕が不動産投資をしようと考えた理由になります。
これから色々な記事を投稿していこうと思います。
そして、
「~2027年12月末までに不動産投資で成功し、自由な暮らしを~」
という目標を達成するために、日々精進し、その進捗もブログで発信していきます。
今後どういった人生になるかはわかりませんが、ブログを通して応援して貰えると嬉しいです。
よろしくお願いします!